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行ったことはなくても名古屋市の姉妹なので仲良くしたいですね。

メキシコシティー

提携の経緯

メキシコシティー 写真

なぜ日本から遠く離れたメキシコ市が名古屋市と姉妹都市になったのか、 そのいきさつを知りたいと思うのはおかしなことではなくむしろ当然の好奇心で、 とがめる人はひとりもいないでしょう。 この話が出てきたのは名古屋日墨協会が先に名古屋市と提携したロサンゼルス市を 訪問した際に、「ロサンゼルスはメキシコ市と姉妹都市なので、ロサンゼルスと 姉妹都市の名古屋市もメキシコ市と姉妹都市になってはいかがでしょうか」と 提案されたことがきっかけになりました。 姉妹なのでちょっと言葉は違いますが、わかりやすく解説すると友達の友達を 紹介してもらう、みたいな感じに考えれば良いでしょう。 そこでメキシコサイドに話を持っていったところ、日本に興味を持っていた当時の 市長さんも前向きに検討してくれてこの話がまとまったのです。 それまで交流が盛んだったわけではないので簡単に決定はしなかったでしょうが、 お互い前向きに話を進めて最終的には提携が決定します。 それが1978年の2月のことで、ロサンゼルス市に次ぐ2番目の姉妹都市が 誕生した瞬間になります。 日本との時差がマイナス15時間とかなり遠くの都市ですが、距離を感じさせない 親密さで今ではお付き合いをしています。



メキシコ市の歴史

メキシコ市は中央高原地帯にあり、標高はなんと2,240メートルなので 私達の多くが生活している土地よりも酸素が薄い涼しそうな場所にあります。 大昔から高度な文明を有していましたが、7世紀にテオティワカン文明が崩壊 するという残念な大事件が発生します。 その後14世紀にアステカ族が辺り一帯を支配してテノチティトランという都市を 築き、この地をしばらくの間は治めることになります。 この時代のメキシコは湖に浮かんでいたそうで、ちょっと見てみたい風景ですが 今はその姿を再現することができないので諦めましょう。 アステカ族の時代もそう長くは続かず、1519年にスペイン軍に攻め入られて 数年後にはテノチティトランが彼らに制圧されてしまいます。 たまに聞くアステカという言葉ですが、約200年で絶頂期が終了とは少し短い ので気の毒だと同情したい気持ちがこみ上げてきます。 でもこれが時代の流れなので仕方の無いことなのでしょう。 スペイン軍に制圧されたテノチティトランは、アステカ族による建造物が ことごとく破壊されてしまいます。 そしてあらたに作られたのが今のメキシコシティーになります。 この時に湖も埋められてしまったそうで、そのため盆地のような土地になっている との話ですが湖を残しておいてくれたらよかったのに、と思わずにはいられません。


メキシコの教育

メキシコシティーの教育は日本と似ており、義務教育は小学校の6年間プラス 中学校の3年間になっています。 わが国でもそうなのですが、どうして6年+3年なのかたまに考えてみてもその 理由がよく分かりません。 適当に区切ったのかなと思ったら名古屋市の姉妹都市も全く同じシステムになって いて、この6+3にも意味がありそうだと匂わせています。 でも5年+4年、あるいは8年+1年ではなく6年+3年である必要は考えても わからなかったので、今回はその話は終わりにしましょう。 とにかくトータルで9時間の義務教育を終えたら、高校へ進むか職業訓練コース へ進むかの分岐が待っています。 ここもやや日本に似ており、大学目指して高校へ進学するか、就職に役立ちそうな 専門学校へ進むかといった違いなのでしょう。 メキシコ人がどんな服装で勉強をしているか、イメージしづらいですがそれは 妙な先入観を持ってしまっているせいかもしれません。 サボテンに囲まれて大きなソンブレロを頭に乗せているチョビヒゲを生やした ラテン系のメキシコ人が机に座って勉強する姿は、ちょっと想像できません。 でも10代のメキシコ人が全員チョビヒゲを生やしているわけでもなく、いつも ソンブレロを被っているわけでもありません。 真面目な一面もきっとあるでしょう。



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